« 正月といえば駅伝と初詣 | トップページ | PDAと畳は新しい方が……? »

2005.01.02

初詣は体力勝負

 さてこれで終わりかというと、そんな事ぁないわけで、展望台はあくまでも中間地点である。
 ここから海側に降り、洞穴の中にお参りをしてこその江ノ島初詣である。というわけで、かなり急な階段を岩場に向かって降り始めた。
 程なくして、宇宙刑事が怪人と戦っていても何の違和感もない岩場に到着する。そのまま道なりに進むと、洞穴の入り口につきあたる。拝観料500円なりを払って中にはいると、ぽつりぽつりと明かりのついた暗~い洞穴が待ちかまえていた。この洞穴は二つあり、それぞれに「第一岩屋」「第二岩屋」と呼ばれている。
 まずは第一岩屋から攻める。洞穴の奥へ向かう道の途中で、明かりを貸してくれる小屋があった。しゃもじのような小さな板に蝋燭を立て、その周囲を風よけの紙が覆っている。数年前に来たときにはなかったサービスである。
 無料という事もあってこれは有り難いと借りていったのだが、実際に使ってみるとそんなに便利な物ではなかった。
 進行方向である前方は風よけの紙が覆っているため、ろくに照らされない。逆に自分の方を向いた側はその紙がないため、洞窟の闇に対してほとんど逆光のような状態になってしまうのである。

 岩屋の中は天井が低く、大人だと中腰で歩かなければならない。まばらに設置された明かりを頼りに奥をめざす。所々に石像があり、まるで横溝正史な世界を作り出していた。
 最も奧までたどり着く直前で岩屋はYの字型に分岐している。まずは左側に行くと、行き止まりを示す柵がある。更にその奧に続く細い洞穴があるが、それはとても人間が通れるサイズの物ではない。説明書きを読むと、その細い洞穴は富士山の麓まで続いているという言い伝えがあるのだそうだ。まるでスケバン刑事のエピソードのようである。
 そしていったん分岐点まで引き返し、右側へ進む。そこには焼き物か石像か判然としない祠が置かれているのだが、なんの説明書きもない。それどころか、入り口でもらうパンフレットにもこの祠のことは触れられていないのである。もしかして、ものすごい秘密が隠されているのかもしれない。
 柵の向こうに置かれた祠に手を合わせて、第一岩屋を引き返した。

 第二岩屋は、第一岩屋と比べると遊び心があるというか、悪のりの感がないでもない。色とりどりの小さな電球が飾り付けられ、スピーカーから妙な効果音が流されている。
 やはり低い天井に頭を押さえつけられるようにして中腰で奧まで進むと、何と底には龍の模型が置かれている。これがまた何というか、ありがたみのかけらもない、実にデパートの屋上チックなシロモノなのである。
 さすがにその置物には手も合わせず、もと来た順路を引き返す。

 正月早々から釣りにいそしむ人たちに混じって岩場をうろうろする。途中、若いカップルにシャッター押してくださいなんて頼まれたりしつつ、のどかな時を過ごす。

 実はここからの帰りが、地獄なのである。来るときと違って、海側から頂上に向かう方向にはエスカーは、ない。そして島の周囲をぐるっと回るような道路も、ない。波打ち際はほとんどが岩場であるため、島の周囲を歩いて本土側に戻る事はまず無理である。そんなことが出来るのは、フロドとサムぐらいのものだろう。
 つまり、根性出して階段を上がり頂上を経由して参道を下る、というのが唯一のルートなのである。
 若い頃はこのルート、何だかんだと不平を言いながらも、ちゃんと歩いて帰ったものだった。しかし、今はもう四十代。辞書の言葉に従うなら、私はもう立派な「初老」なのだ。とてもそんな、恐ろしい旅に身をゆだねることなど出来はしない。

 というわけで、300円を払って渡し船で江ノ島大橋のたもとまで帰ったのだった。やっぱ文明って素晴らしい。

 かつてのそれに比べると、随分と楽をした江ノ島初詣だった。それでもそれなりに疲れていたらしい。帰りのロマンスカーでは、新宿に到着するまでほとんど爆睡状態だった。

 来年もまた、同じような初詣ができればと思っている。もちろん今度は、スパも予定に組み入れるつもりである。

|

« 正月といえば駅伝と初詣 | トップページ | PDAと畳は新しい方が……? »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 初詣は体力勝負:

« 正月といえば駅伝と初詣 | トップページ | PDAと畳は新しい方が……? »