【マイギターライフ:002】ぎゅわんぶらあ自己中心派
自分の人生の中で最もパチンコをしていた時期はと言えば、間違いなく小学校四年生から六年生にかけてである。当然ながら自分一人でパチンコ屋に入り浸っていたわけではなく、親に連れられてではあるが。
私の父親と言うのがまた実に趣味のない男で、それでも無理やりに彼の趣味を定義するなら酒とパチンコ、という事になるだろう。
水道屋をやったり長距離トラックの運転手をやったり注文建築住宅の代理店をやったり、たまに夜逃げをしたりと紆余曲折な人生を送っていた父親が、火葬場の職員として公務員になって実を落ち着けたのは私が小学校二年生の時だった。
初めのうちは借金を返すのに精一杯だったようだが、やがてそれも片がつき、やがて毎晩のように晩酌の後に駅前のパチンコ屋に行くようになったのが私が四年生の頃だったのである。
最近はどうなのか知らぬが、あの頃はまだ子供連れでパチンコ屋に入っても特に目くじらを立てられることもなかった。
最初の頃はおとなしく景品コーナーの玩具やプラモデル、あるいはラジオなどの豪華景品を眺めてすごしていたが、次第に退屈してくる。父親のところに行きジュースが飲みたいとねだると、父は現金ではなくパチンコ玉を一握りよこした。それを持ってジュースの自動販売機のところに行くと、ちゃんとパチンコ玉を入れる投入口がある。そこに玉を入れると、ジュースが買えるのである。
しかし景品を見たりジュースを飲んだりしていても、やはり飽きてくる。何しろ毎日のように同じパチンコ屋に連れられてくるのだ。景品はもうすっかり覚えて見飽きているし、ジュースだって子供だから飽きはしないがそう何杯も飲めるものではない。
そのうち私は床に落ちているパチンコ玉を拾って適当に空いてる台で打ち始めるようになった。店員も特に文句は言わなかった。父親も自分の懐が痛むわけではなかったので、文句は言わない。
玉を20個ぐらい集めては空いてる台を探し、玉を一つずつゆっくりと弾く。父はいつも閉店時間である9時まで打ち続けるから、それまでの時間つぶしが出来るよう極力ゆっくりと、時間をかけて玉を弾いた。
そして全てを打ちつくすとまた、玉拾いの旅に出るのであった。
当初の目的は閉店までの時間つぶしだったので、父が声をかけてきて帰るとなった時は慌てて全ての玉を打ちつくしたものだった。
ところが五年生の後半ぐらいから少しずつ、出玉を増やせるようになってきた。そして六年生になった時には、うまくすればシングルレコードの一枚も取れるぐらいの玉が出るようになっていたのである。
こうして自分のレコード集めが始まった。
この頃はまだ、自分でギターを弾いて歌うなどという事は、考えてもいなかった。
そんな自分がギターに興味を持ったのは中学一年の時。そのきっかけを作ったのは、後に生徒会長となる鈴木君である。
(つづく)
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