人という生き物は不思議なもので、本能が危険だと告げている方向へ、あえて進みたくなる事がある。いわゆる「怖いもの見たさ」というやつである。
ところでこの「怖い物見たさ」に対応して、臭いもの嗅ぎたさというのが絶対にあると思う。
小学生の頃、学期末になって机の中からカビが生えて変色したパンが出てくる、なんて事がある。こういった場合たいてい、そのパンの持ち主(?)がまず最初にその臭いを嗅ぐ。
「うっわ、くっせ~!」
そうすると必ず、こう言ってくるヤツがいるのだ。
「まじ? ねぇマジ? ちょっと俺にも嗅がせて」
「止めといた方がいいって。すっげ~臭ぇから」
「いいじゃん、ちょっとだけ」
「じゃ、ほれ」
「うわ、くせ~~~! ひでーなコレ。鼻壊れちゃうよ。なんて事してくれんだよ~」
だから何度も臭いと言ってるだろーが。
こんな風に人は、己の内なる警告をあえて無視する事がある。
いま友人の一人が、この罠にはまろうとしている。よりにもよって、このページを見て二郎が食いたくなってしまったのだそうだ。
物騒な世の中になったとはいえまだまだ平和な日本で、これほど身近な危険が他にあるだろうか?
二郎ファン、あるいはジロリアンと呼ばれる人は数多くいるが、そのほとんどが二郎未体験者に対して二郎を勧める事はない。ジロリアン同士だと、やれ一之江が美味いだの神保町が最高だの野猿は頂点を極めただのやっぱ本家は三田だから三田を食わずして二郎を語るなだのと実ににぎやかだが、非ジロリアンから「二郎って、美味いの?」と聞かれると、まずたいていのジロリアンが一瞬言葉に詰まる。
「そうだな~、ハッキリ言って、あまり他人様に勧められるような食い物じゃないよな~」
「いきなり食って、美味いと思えるような代物じゃないね」
「そうそう。化学調味料が山盛りで舌が痺れるし」
「量も、多すぎるし」
「食うと太るし」
「血圧あがるし」
「早死にするよ」
こうして、ほとんどのジロリアンが二郎の危険性を指摘する。そのくせ彼らは、二郎を食べることを止めようとはしない。彼らはその危険性を良く知っているし、危険を承知の上で食っているのだ。
実を言えば彼らは、二郎のどこに魅力があるのかを、未体験者に対してロジカルに説明する術を持たないのである。にもかかわらず二郎を止められないという現実から、身をもって「これは危険な食い物だ」と知るのだ。
だからこそ、まだ汚れを知らぬ無垢な一般市民が二郎に近づこうとすると、まずは警告してしまうのだろう。そこに、かつての自分の姿を思い浮かべながら。
そして二郎に興味を持ってしまう人たちもまた、そこに危険な匂いを嗅ぎとりながらも、あるいは危険だからこそ、魅かれるものを感じるのかも知れない。
そして、今はまだ純真無垢な友人は昨日、期待に胸を膨らませつつ三田本店に向かったのだそうだ。そこで彼を待ち受けていたのは、噂に聞くものすごい行列ではなく、臨時休業の張り紙だった。
その話を聞いた私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、「幸か不幸か」という言葉だった。
怖いのは一杯目の二郎ではない。食い終わって感じる「苦し~。もう食わね~」という後悔でもない。
数日後にふと沸き上がる「もう一回、食ってみようかな」という気持ちこそが、地獄への第一歩なのである。
さあ、それでもまだ貴方は、二郎に行きますか?