2010.04.03

光が丘でお花見

 今月の一日から久しぶりにココログをいじり始め、アクセス解析なども見るようになった。
 面白いのがこのページに来るきっかけとなったらしき検索キーワードとして「光が丘」「お花見」の二つがトップを占めているという事。これはまあ季節柄、当然の事なのかも知れない。
 しかしその記事、2006年の3月31日にアップしたもので、最新の情報ではない。記事の内容は、大江戸線光が丘駅の改札を出てから花見の会場となる芝生広場までのナビであるので、まあ今年見ても多少の役に立つのかも知れないが。
 元々は某秘密結社のメンバーに向けての道案内のつもりで書いた記事である。

 というわけで今日は、今年の光が丘公園に咲いてる桜の写真をアップする事にした。
 恐らく今年は今週末が光が丘公園における桜のピークだと思う。平日お仕事の方々は明日が最後のチャンスなので、お見逃しなきよう。
 なお陣取りについては芝生広場は結構広いので、UVバッチ来い的贅沢言わないぜモードならばどこかしらに場所はある。

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2010.04.02

エゴサーチ

時々、自分の名前で検索してみる事がある。
以前は玲一文の名前で検索して出てくるのは、NiftyServe時代に参加した書籍のタイトルぐらいだったものだ。
ところが今日やってみたところ、ツイッター関係のページがやたらと出てくる。
自分が呟いたページはもちろん、周辺のサービスであるご近所サーチだのふぁぼったーだの、自分では意識していないものまでがネット上に溢れかえっているようだ。

そんな中に、ツイッターノベルのページがあった。
そういえばツイッターノベル大賞ってのがあって、自分もそれに応募したんだっけ。
もうずいぶん前の事のように思いながらその作品ページを開いて、ふと気づいた。

俺、この小説を応募した時のアカウント、削除しちゃってるじゃん……(汗)。

という事は、もしあの小説が入賞しても連絡先不明って事になっちゃうんだ。
うわぁ、アホな事やったなぁ。

というわけで皆さん、ネット上のアカウントを整理するときは十分に気をつけましょう、という話なのだった。

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2005.03.02

Firefox 導入

 PC切り替え機の導入によりサブ機の方も本格的に使うようになったので、こちらにもちゃんとしたブラウザを入れようという事になった。サブ機はWenMeなので、プリインストールされているIEのバージョンが5.xである。
 試しにと自分のココログとかを表示させると、左側のカレンダーの、土曜日の部分が欠けていたりする。
 これじゃいかんと思い、良い機会なので以前から興味のあった Firefox を入れることにした。

 インストールガイドのページ等を参考にダウンロードとインストールを行ったが、タブブラウザ機能はデフォルトで入っているみたい。インストールガイドのページには、改めてタブブラウザ機能を拡張機能のページからダウンロードする必要があるみたいに書いてあった気がするのだが、どうやら私の勘違いだったようだ。

 とりあえずデフォルトの状態で使い始めた。割と良い感じ。メインマシンで使っていたのがNetscapeの7.0なので、タブブラウザに慣れているせいもあるだろう。

 数日使ってみて、特に問題がないようだったらメインマシンにもインストールしよう。

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2005.03.01

玲 一文G

 メインマシンのグラフィックカードが死んだのを機に、二台のPCと一組のキーボード・マウス・ディスプレイを切り替え器でつないで使うことにした。
 ちなみに昨日までは、液晶ディスプレイにデジタルとアナログの2系統あるのを利用して、メインマシンはデジタル入力、サブマシンはアナログ入力に接続していた。ただキーボードとマウスはそれぞれのマシンに用意してあったため、いくらキーボードを叩いても画面に反映されず「あ、こっちじゃなかった」という事が度々あった。

 死んでしまったグラフィックカードの跡継ぎとして新しいのを買おうかとも考えたのだが、PCの切り替え器とデジタル出力を持ったグラフィックカードの安いやつとが似たような値段だったので、今回は切り替え器を選んだのだった。

 購入したのは、ラトックシステムのREX-210という角川の恐竜みたいな名前の製品で、ヨドバシカメラで5,000円弱だった。

 切り替えには、本体のボタンを押す方法の他にホットキーによる切り替えをサポートしている。だから、ケーブルを繋いだあとは手の届かないところにおいといても無問題である。

 ついでにという事で、貯まったポイントでオーディオセレクタも買った。2台のPCとラジオ付CDプレイヤー、それにMDプレイヤーを繋げて切り替えられるようになった。今までは、いちいちスピーカーのケーブルをそれぞれの機器に繋げ換えていたのである。

 これで書斎のPC周りは、早乙女研究所から新早乙女研究所ぐらいのパワーアップを図った事になる。
 という事は、死んでしまったグラフィックカードの戒名は「巴ムサシ」という事になるのか……。

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2005.02.24

素朴な疑問

 女房から、こんな質問をされた。

 「有名な台詞で『中の人などいない!』ってのがあるけど、原典が何なのか知ってる?」

 まず「中の人などいない!」という台詞が有名なのかどうか、という問題があるのだが、それはの時点では保留とする。そこから考え始めると、この話題が先に進まないからだ。
 何より私はこの台詞を知っている。それだけでも有名な台詞扱いをするには十分だと判断した。

 しかし改めてこう問われると、確かにどうして自分がこの台詞を知ることになったのか、についての正確な知識・記憶を持ち合わせていない。

 そんな話をしたところ、友人からこんなページを教えてもらった。

「中の人などいない! の歴史」

 どうやら私が初めて見たのは、吉田戦車の「感染るんです」に出てきた「下のかたなどいない!」という台詞だった様だ。
 だが「中の人」というキーワードを意識するようになったのは、おそらく2ちゃんねるではないかと思う。しかしそこでは中の人が「いない!」という事が問題なのではなく「大変だ」という事が問題なのであった。

 自分の脳内情報についてすら、あいまいな認識しか持ち合わせていないという事が良く判る話だった。

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2005.02.19

壁紙

 ここ数ヶ月、自宅PCの壁紙をWindowsに最初から付いてきたjpgファイルに設定していたのだが、やはりつまらない。
 という事で、コツコツと撮りためてきた二郎の写真で作った壁紙集に戻すことにした。

 撮った写真を画面のサイズに合わせて加工し、一つのディレクトリに全て放り込む。そしてkxという壁紙チェンジャーでランダムに変更させる。
 こうすれば、起動のたびに懐かしい思い出が画面いっぱいに広がるというわけだ。

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 ちなみにこれは要町にあるマルジと呼ばれる店のものである。

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2005.02.14

音撃戦士・UX50

 以前に書いたように、クリエのメモリースティックに気に入った曲を無差別に放り込んでシャッフルプレイで聴いている。さだまさしも林原めぐみもスターウォーズも中島みゆきもフラッシュダンスも風もイルカもトップガンもクリスタルキングも、みなごっちゃである。何が出てきても皆お気に入りの曲なので、無問題である。
 ただ一つ、それぞれの音量がバラバラである事を除けば。

 やはり元気な曲は大きな音で、頼りない曲は小さな音で記録されている傾向がある。そのため、トップガンの直後にさだまさしが出てきたりすると、よく聞き取れなかったりするのである。

 そんな悩みを持っていたのは私だけではないらしい。世の中にはそんな悩みを解決すべく、MP3Gainという便利なソフトがあるのだった。
 これはMP3ファイルを再エンコードなしに、音量だけ好きな状態に出来るというソフトである。かなり有名なソフトらしく、MP3Gainでググるとダウンロードできるサイトだけでなく使い方を説明してくれるサイトも見つけることが出来る。なので、ここでは詳細については割愛させていただく。
 
 このソフトのおかげで、音量の悩みは一気に解決である。
 おかげで、お風呂スピーカーにUX50を入れて入浴中に音楽を聴くときでも、音量の事を気にする必要がなくなったのがありがたい。

 今や本当に、寝るとき以外はいつもUX50と一緒の生活になってしまった。毎日一緒に風呂に入るなどという、ある意味女房より濃ゆい関係なのである。

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2005.02.13

不定期連載・我がニフティ人生(2)

 さて無事にニフティへのサインアップも済ませ、まずはフォーラムというものに入ろうという事になった。
 フォーラムというのは、各ジャンルごとに同好の志が集まって会議室という掲示板で意見交換をしたり特定のテーマで話し合いをしたり雑談をしたり、といった場のようなものである。ニフティ以外では「シグ」と呼ばれている商業ネットもあったらしい。

 ネット生活そのものを始めたばかりなのでまずは初心者向けの、という事で初心者フォーラムに入った。フォーラム名はFHELP。頭のFは全フォーラムに付く事になっているので、二文字目からがフォーラムの内容を表している。SFフォーラムはFSFだし、模型フォーラムならFMOKEIとなる。ではFGALは女の子が山盛り、というわけではないのがまた難しいところであるが。FGALについてはまた後日説明しようと思う。

 パソコン通信では、現在のWebブラウザで表示させてマウスでクリック、というインターフェイスとは違って、全てプロンプトに対してコマンドを打ち込むという方法をとる。フォーラムへは、GOコマンドというコマンドで入る。例えばFHELPに行くなら「GO FHELP」と打ち込むのである。すると画面に、フォーラムのトップメニューが表示される。「会議室」「データライブラリ」「お知らせ」「リアルタイム会議室」といったメニューが、それぞれに番号を付けて表示されており、その番号を入力すればそのサービスに入るという形になっている。
 慣れてくるとメニュー表示をオフにして、直接そのサービスのコマンドを打ち込むという技を使うようになる。これは当時のニフティが従量課金制でありなおかつ料金が青天井だったためである。

 他のネットも従量課金制ではあったが、例えば日経MIXなどは上限が一万円だったと記憶している。つまりどんなに使っても一万円を超えることはない、というわけである。もっとも、全サービスが使えたかどうかは不明である。
 そしてニフティは三分十円だったか一分十円だったか忘れたが、使えば使っただけ課金される仕組みだった。上限はない。だからメニューの表示を省略する事でアクセス時間を短くするというのは、当然の対策だったのである。

 その課金対策を更に勧めていくと、オートパイロットという仕組みを使うことにたどり着く。これはサーバへのコマンド入力を人間が手入力でやるのではなく、通信ソフトのマクロを使って実行させるのである。そうすれば人間より反応が早いから、決まったことだけをやらせるならより効率的にネットを巡回する事が出来る。
 こうして、より短いアクセス時間でより多い情報をダウンロードするのが、パソコン通信の賢い利用法だとされていた。
 この頃は現在のような、定額制で常時接続があたりまえの時代が来るなど、想像もしていなかった。

 前置きが長くなってしまった。
 FHELPに入会した私は、まずフォーラムのサービス中でメインとなる「会議室」に入った。
 「会議室」という名前ではあるが、今で言えば掲示板である。発言を書き込み、その発言に対してコメントをつけることが出来る。発言には発言者の登録名や時刻が一緒に表示される。
 会議室は当時は各フォーラムごとに最大で10個の会議室が持てるようになっていた。これは後日、20個に拡大されるようになる。

 登録名はフォーラムに入会する時に決める。複数のフォーラムに入るにしても登録名は統一するのが普通だった。この登録名は「ハンドルネーム」と呼ばれ、会員同士はこのハンドルで呼び合う。本来「ハンドル」だけで「名前」という意味が含まれているので、ハンドルネームというのは重複表現となるのだが、ニフティではこの呼び方が一般化されていたように記憶している。

 私はその当時「澪 一文・Vo\oV」というハンドルを使っていた。由来は数字の0123である。別に某引越し業者の回し者になりたいから、というわけではない。高校当時、学校の近くに「一二三薬局」というのがあり、これが「ひふみ薬局」である事を知って何となく使ってみたいと思っていたのだ。頭の0は、C言語プログラマは数を0からカウントするという習性に由来している。
 後ろの「Vo\oV」はバルタン星人を表している。環境によっては真ん中の「¥」が「\(バックスラッシュ)」に見えるかも知れない。
 
 初心者フォーラムには会議室の利用練習を兼ねた自己紹介会議室がある。早速その会議室に書き込みをした。
 こうして「澪 一文・Vo\oV」がネットワーク上にデビューしたのである。

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2005.02.01

不定期連載・我がニフティ人生(1)

 ニフティのパソコン通信サービスが、徐々に終了しつつある。なんだか寂しい。
 ニフティサーブは一時期、自分の人生のかなり重要な部分を占めていただけに、複雑な気分である。たとえ最近はほとんど訪れなくなっても、である。勝手な言い分だが、人の気持ちってのはそんなもんだろう。

 今から15年ぐらい前、冬のボーナスでモデムと通信ソフトを買ったのが私のネット生活の始まりだった。
 モデムはオムロン製で2400bps、MNPクラス5の性能を持った、当時としては一番良いランクのモデルだった。まだ9600のアクセスポイントがない時代である。
 通信ソフトはCCT98という、マクロ機能が強力と雑誌のレビューに載っていたものを選んだ。当時のパソコン通信は従量制課金がデフォルトで、今のような定額制のサービスはほとんどなかったと思う。なので通信費を極力安くあげるために、手作業でのアクセスではなくマクロによるオートパイロットでサッとつないでパッと切る、という方法が主流だったのだ。
 そのマクロも、マニュアルと首っ引きでシコシコと自作したものである。当然マクロとは言えプログラミングだから、デバッグが必要になる。そのために何度もアクセスを繰り返し、結局は通信費がかさんでしまったなんて事もあった。
 このマクロは後日、模型フォーラムのデータライブラリにアップしたのだが、今はどうなっているのだろうか。

 さてその当時のメジャーなパソコン通信サービスと言えば、日経MIX、PC-VAN、ASCII-NETがトップ3だったかと記憶している。これはその有名度とユーザ数からの話である。ニフティはまだ、四位以下だった。
 そのニフティをどうして自分が選んだのか、今となってはその理由が思い出せない。モデムか通信ソフトに、一時間分の無料クーポンでもついていたのかも知れない。

 近場のアクセスポイントを探し、通信ソフトに電話番号とモデムコマンドを設定し、いざアクセスすると文字化けでログインできない。電話代がかさむのであわてて回線を切り、モデムのマニュアルとにらめっこしながら通信ソフトに入れたATコマンドの設定を見直す。
 こんな事を繰り返しながらやっとまともに通信できるようになったときは、一人暮らしのアパートで誰にともなく「やった! ざまーみろ!」と叫んだものだった。

 そして入会手続きをオンラインで済ませ(当時はその段取りにも感動した)、まずは初心者フォーラムに入会する。
 ここで、通信費の節約などというお題目を吹き飛ばす「リアルタイム会議室」、通称RTというものにハマって行くのだが、その話についてはいずれまたの機会に。

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2005.01.13

ミクシィ中毒

 いやはや、聞いてはいたけど本当にミクシィがこれほどまでに「中毒性のあるもの」だとは思わなかった。「暇さえあれば」などという生易しいレベルではなく、「何かというと」ミクシィのチェックをしている自分がいる。こんなとき、仕事中にもWebにアクセスできる状況というのは、ありがたいやら困るやら。

 この感覚って、15年前にNifty-Serveに入会した頃の感覚に似ているような気がする。あの頃も、もう社会人二年目として大人の行動をしなきゃいけない年だと言う事は判っているつもりなのに、初めて知った世界に夢中になって毎晩夜遅くまでネットの中(ただしこの場合は、サーバの中)をウロウロしていた。
 今ではネット上のサーバーは24時間稼動が当然になっているが、あの当時は毎日午前三時になるとメンテナンスのためにサービスが停止された。だからRT(チャット)中毒の連中はみんな、Niftyがメンテで落ちるまでRTを続けていたものだった。

 単なるWeb上の掲示板とかでは、これほどの思い入れというものは抱かなかった。それは「自分は既にNiftyのような世界を知っているから、今さらネットワーク云々という世界におぼれるはずもない」という思いがあったからなのだが、こうやってまた改めてクローズドな世界に足を踏み入れてみると、何だ全然同じ行動してるじゃん、という感じ。

 決して自分はネットに醒めていたわけでもなければ、達観していたわけでもない。ましてや、大人になったというわけでは、全然なかったという事だ。

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