2005.02.13

不定期連載・我がニフティ人生(2)

 さて無事にニフティへのサインアップも済ませ、まずはフォーラムというものに入ろうという事になった。
 フォーラムというのは、各ジャンルごとに同好の志が集まって会議室という掲示板で意見交換をしたり特定のテーマで話し合いをしたり雑談をしたり、といった場のようなものである。ニフティ以外では「シグ」と呼ばれている商業ネットもあったらしい。

 ネット生活そのものを始めたばかりなのでまずは初心者向けの、という事で初心者フォーラムに入った。フォーラム名はFHELP。頭のFは全フォーラムに付く事になっているので、二文字目からがフォーラムの内容を表している。SFフォーラムはFSFだし、模型フォーラムならFMOKEIとなる。ではFGALは女の子が山盛り、というわけではないのがまた難しいところであるが。FGALについてはまた後日説明しようと思う。

 パソコン通信では、現在のWebブラウザで表示させてマウスでクリック、というインターフェイスとは違って、全てプロンプトに対してコマンドを打ち込むという方法をとる。フォーラムへは、GOコマンドというコマンドで入る。例えばFHELPに行くなら「GO FHELP」と打ち込むのである。すると画面に、フォーラムのトップメニューが表示される。「会議室」「データライブラリ」「お知らせ」「リアルタイム会議室」といったメニューが、それぞれに番号を付けて表示されており、その番号を入力すればそのサービスに入るという形になっている。
 慣れてくるとメニュー表示をオフにして、直接そのサービスのコマンドを打ち込むという技を使うようになる。これは当時のニフティが従量課金制でありなおかつ料金が青天井だったためである。

 他のネットも従量課金制ではあったが、例えば日経MIXなどは上限が一万円だったと記憶している。つまりどんなに使っても一万円を超えることはない、というわけである。もっとも、全サービスが使えたかどうかは不明である。
 そしてニフティは三分十円だったか一分十円だったか忘れたが、使えば使っただけ課金される仕組みだった。上限はない。だからメニューの表示を省略する事でアクセス時間を短くするというのは、当然の対策だったのである。

 その課金対策を更に勧めていくと、オートパイロットという仕組みを使うことにたどり着く。これはサーバへのコマンド入力を人間が手入力でやるのではなく、通信ソフトのマクロを使って実行させるのである。そうすれば人間より反応が早いから、決まったことだけをやらせるならより効率的にネットを巡回する事が出来る。
 こうして、より短いアクセス時間でより多い情報をダウンロードするのが、パソコン通信の賢い利用法だとされていた。
 この頃は現在のような、定額制で常時接続があたりまえの時代が来るなど、想像もしていなかった。

 前置きが長くなってしまった。
 FHELPに入会した私は、まずフォーラムのサービス中でメインとなる「会議室」に入った。
 「会議室」という名前ではあるが、今で言えば掲示板である。発言を書き込み、その発言に対してコメントをつけることが出来る。発言には発言者の登録名や時刻が一緒に表示される。
 会議室は当時は各フォーラムごとに最大で10個の会議室が持てるようになっていた。これは後日、20個に拡大されるようになる。

 登録名はフォーラムに入会する時に決める。複数のフォーラムに入るにしても登録名は統一するのが普通だった。この登録名は「ハンドルネーム」と呼ばれ、会員同士はこのハンドルで呼び合う。本来「ハンドル」だけで「名前」という意味が含まれているので、ハンドルネームというのは重複表現となるのだが、ニフティではこの呼び方が一般化されていたように記憶している。

 私はその当時「澪 一文・Vo\oV」というハンドルを使っていた。由来は数字の0123である。別に某引越し業者の回し者になりたいから、というわけではない。高校当時、学校の近くに「一二三薬局」というのがあり、これが「ひふみ薬局」である事を知って何となく使ってみたいと思っていたのだ。頭の0は、C言語プログラマは数を0からカウントするという習性に由来している。
 後ろの「Vo\oV」はバルタン星人を表している。環境によっては真ん中の「¥」が「\(バックスラッシュ)」に見えるかも知れない。
 
 初心者フォーラムには会議室の利用練習を兼ねた自己紹介会議室がある。早速その会議室に書き込みをした。
 こうして「澪 一文・Vo\oV」がネットワーク上にデビューしたのである。

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2005.02.01

不定期連載・我がニフティ人生(1)

 ニフティのパソコン通信サービスが、徐々に終了しつつある。なんだか寂しい。
 ニフティサーブは一時期、自分の人生のかなり重要な部分を占めていただけに、複雑な気分である。たとえ最近はほとんど訪れなくなっても、である。勝手な言い分だが、人の気持ちってのはそんなもんだろう。

 今から15年ぐらい前、冬のボーナスでモデムと通信ソフトを買ったのが私のネット生活の始まりだった。
 モデムはオムロン製で2400bps、MNPクラス5の性能を持った、当時としては一番良いランクのモデルだった。まだ9600のアクセスポイントがない時代である。
 通信ソフトはCCT98という、マクロ機能が強力と雑誌のレビューに載っていたものを選んだ。当時のパソコン通信は従量制課金がデフォルトで、今のような定額制のサービスはほとんどなかったと思う。なので通信費を極力安くあげるために、手作業でのアクセスではなくマクロによるオートパイロットでサッとつないでパッと切る、という方法が主流だったのだ。
 そのマクロも、マニュアルと首っ引きでシコシコと自作したものである。当然マクロとは言えプログラミングだから、デバッグが必要になる。そのために何度もアクセスを繰り返し、結局は通信費がかさんでしまったなんて事もあった。
 このマクロは後日、模型フォーラムのデータライブラリにアップしたのだが、今はどうなっているのだろうか。

 さてその当時のメジャーなパソコン通信サービスと言えば、日経MIX、PC-VAN、ASCII-NETがトップ3だったかと記憶している。これはその有名度とユーザ数からの話である。ニフティはまだ、四位以下だった。
 そのニフティをどうして自分が選んだのか、今となってはその理由が思い出せない。モデムか通信ソフトに、一時間分の無料クーポンでもついていたのかも知れない。

 近場のアクセスポイントを探し、通信ソフトに電話番号とモデムコマンドを設定し、いざアクセスすると文字化けでログインできない。電話代がかさむのであわてて回線を切り、モデムのマニュアルとにらめっこしながら通信ソフトに入れたATコマンドの設定を見直す。
 こんな事を繰り返しながらやっとまともに通信できるようになったときは、一人暮らしのアパートで誰にともなく「やった! ざまーみろ!」と叫んだものだった。

 そして入会手続きをオンラインで済ませ(当時はその段取りにも感動した)、まずは初心者フォーラムに入会する。
 ここで、通信費の節約などというお題目を吹き飛ばす「リアルタイム会議室」、通称RTというものにハマって行くのだが、その話についてはいずれまたの機会に。

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2005.01.13

ミクシィ中毒

 いやはや、聞いてはいたけど本当にミクシィがこれほどまでに「中毒性のあるもの」だとは思わなかった。「暇さえあれば」などという生易しいレベルではなく、「何かというと」ミクシィのチェックをしている自分がいる。こんなとき、仕事中にもWebにアクセスできる状況というのは、ありがたいやら困るやら。

 この感覚って、15年前にNifty-Serveに入会した頃の感覚に似ているような気がする。あの頃も、もう社会人二年目として大人の行動をしなきゃいけない年だと言う事は判っているつもりなのに、初めて知った世界に夢中になって毎晩夜遅くまでネットの中(ただしこの場合は、サーバの中)をウロウロしていた。
 今ではネット上のサーバーは24時間稼動が当然になっているが、あの当時は毎日午前三時になるとメンテナンスのためにサービスが停止された。だからRT(チャット)中毒の連中はみんな、Niftyがメンテで落ちるまでRTを続けていたものだった。

 単なるWeb上の掲示板とかでは、これほどの思い入れというものは抱かなかった。それは「自分は既にNiftyのような世界を知っているから、今さらネットワーク云々という世界におぼれるはずもない」という思いがあったからなのだが、こうやってまた改めてクローズドな世界に足を踏み入れてみると、何だ全然同じ行動してるじゃん、という感じ。

 決して自分はネットに醒めていたわけでもなければ、達観していたわけでもない。ましてや、大人になったというわけでは、全然なかったという事だ。

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2005.01.02

正月といえば駅伝と初詣

 初夢の記憶もないまま、新年二日目の朝を迎えた。今日こそは良い天気。まさに駅伝日和である。

 これも結婚後に東京に引っ越して以来の恒例となった、おせち料理で一杯やりながらの駅伝中継を堪能する。
 箱根駅伝の舞台になっているコースは、学生時代に車で走り回ったところが多い。だから見ていて選手がどこらへんを走っているのかが良く判る。それがこの駅伝を面白いと思う最大の理由かも知れない。
 特に戸塚中継所を過ぎて藤沢バイパスから134号線に入り茅ヶ崎を通って平塚を通り過ぎるまでのあたりは、我が青春のドライブコースだったこともあってメチャメチャ懐かしい。

 煮物や鯛等をつまみにビールを頂き、良い気分になったところで女房の実家をおいとまする。
 息子は四日の朝まで残留し、優しい祖父母に囲まれたパラダイスを堪能する事になっている。当然の事ながら、彼が我々を送り出す表情が晴れやかだ。

 湘南ライフタウンの真ん中あたりにあるバス停から神奈中バスに乗り、藤沢駅へ向かう。
 実のところ、もう何年も初詣というものをしていない。定型パターン、様式美といったものを愛する身としては、これは不本意な事である。そこでせっかくだからと、江ノ島神社に初詣に行くことにした。

 藤沢駅近辺を歩き回ってコインロッカーを探し、荷物を放り込む。そして小田急の駅で帰りのロマンスカーの切符を確保してから、各駅停車で江ノ島に向かった。

 もう何年も前に岩本楼に泊まって以来の江ノ島だが、相変わらず「ちょっと寂れた感じのする観光地」テイストに満ちていた。それでもコマゴマと改修されているところもあるようで、小田急の駅を出て江ノ島に向かう途中にあった「東洋のマイアミビーチ」という看板は取り外されていた。マイアミから抗議でもきたのだろうか。

 江ノ島へ渡る橋の上から見える、妙に派手な看板に目を奪われる。帯状の電光掲示板をソフトクリーム状にクルクルッと巻き上げた形をしており、何やらせわしく画面が描き変わっている。最初ラブホテル(最近はファッション・ホテルとか言うのか)でも出来たのかと思ったが、近づいてみたらそれがスパである事が判明。
 帰りの電車が決まってるので入るのは断念したが、来年は挑戦してみても良いかも知れない。

 いよいよ鳥居をくぐって恐怖の坂登りである。初詣シーズンだからか、やたらに人が多い。昔ちょくちょく遊びに来たときは開いてた試しのなかった射的屋が営業しており、しかも商売繁盛の様子。
 参道沿いの土産物屋を冷やかしながら、と思ったが、ここの参道は非常に狭い上に、普段からは考えられない程の人が流れているせいもあって、うかつに立ち止まれない。
 人の流れに押されるように、最初のお社に到着してしまった。

 手を洗って口をすすぎ、本殿に手を合わせる。お守りも買って、普通の初詣ならここで終了なのだが、江ノ島の初詣は違う。ここはまだ、スタート地点のようなものである。
 本殿を出たら、まずは頂上を目指す。これが正しいルートというものである。

 などと気張りつつも、かつては己の脚で上がった階段を今はエスカーで楽して上がってしまうのだから、正しいもクソもない。
 エスカーをご存知ない人の為に説明すると、要は単なるエスカレーターである。これが江ノ島の麓から山頂までの間に、三本ほど設置されている。最初の一本はパスして自力で登ったのだが、そこから先は二本のエスカーのお世話になって、らくちんモードで頂上に到着したのだった。

 頂上についたら、目指すは当然展望台である。今は新しい展望台に立て替えられているが、これも昔はすさまじい代物だった。
 展望フロアに行く為のエレベーターが昔の金網みたいなケージで、たどり着いた展望フロアは板張りの吹きさらし。歩けば床がギシギシと鳴き声をあげる「天然ウグイス張り」なところが、よりいっそうスリルを覚える逸品だった。
 そんな展望台も今では、大きなガラス張りの室内型展望フロアになっていた。空調も効いていて、実に快適である。
 四方をぐるっと見回して、携帯のカメラで何枚か写真を撮った。ついでに展望フロアの屋上にも出て外の風を浴び、昔なつかしのモードも満喫してここはクリアという事になった。

05-01-02_01 展望台から江ノ島大橋を望む
05-01-02_02 展望台から見る富士山

 後半へ続く。

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2004.12.24

人生のデンジ・エンド

 身体の左側ばかり調子が悪い。昔からそうなのだが、ここ数年は特にひどくなった。
 四十ともなると身体のあちこちにガタが来るのはわかるが、自分の場合、高校生の頃からその傾向があったようだ。

 ●左腕と左足だけ蟻走感
 蟻走感と書いて「ぎそうかん」と読むらしい。これは、筋肉繊維の間を虫がはいずっているような感覚に襲われる現象のことだ。
 自分の場合、高校生になったころからこの蟻走感に悩まされている。眠くなってウトウトしてくると、左腕と左足だけが妙にムズムズしてくるのだ。皮膚と筋肉の間、あるいは筋肉と骨の隙間を虫がウニウニと這いずっている感覚。良くドラマやマンガで見る、覚せい剤の禁断症状ってこんな感じかな~、と思う。
 こいつのおかげで夜中に寝付けなくなった事が、何度もある。

 ●左後頭部に頭痛
 まだ煙草を吸っていた頃のこと。
 家に帰って一服つけたとたん、頭の左側だけに激痛が走った。猛烈な痛さ。こんな頭痛は初めて。まさにのたうち回りたくなるほどの激痛。
 あまりの痛みに後日、昭和大学病院の脳外科で診察してもらった。念のためということでMRIによる検査も行ったが、特に異常は見られなかった。結局、肩こりから来る頭痛だろうという事で決着がついた。
 昭和大学病院には今でも、三ヶ月に一度のペースで通っている。

 ●左肩だけ肩こり
 左肩から背中にかけての肩こりを意識するようになったのは、頭痛事件があってから。
 最近ではほぼ慢性的に、左肩だけがこっている。あまりにもこの肩こりがひどいため、職場・書斎・リビングのそれぞれにツボ押しを常備している。

 ●左足だけ巻き爪
 そして最近になってレギュラー入りしたのがこの、巻き爪である。
 ネットで調べたところ、爪を短く切りすぎると巻き爪になる可能性があるという事だったが、左右同じように爪を切っているにも関わらず左足の爪だけが巻き爪になるのが解せない。
 それも、最初の頃は親指の爪だけがそうなっていたのだが、今では巻いてない爪の方が残り二本と、少数派になってしまった。

 これだけ左右非対象だと、俺って何だかキカイダーみたいだと思う。
 これはひょっとして、二郎の食いすぎが原因か?

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2004.12.23

初期化

 息子へのクリスマスプレゼントは当人の希望により、ポータブルMDプレイヤーと言うことになった。いよいよ自分の子供が音楽を聴くようになったかと思うと、感慨深いものがある。

 自分が本格的に音楽を聴くようになったのは中学一年の秋頃だった。さだまさしに夢中になり、少ない小遣いを貯めてはレコードを買ったり、ラジオのエアチェックをしたものだった。
 買ったレコードは、頻繁に使って万が一傷つけては大変ということで、カセットにダビングしたあとは大事にしまい込んでいたものだった。

 高校生の頃になると、カセットにもこだわるようになった。値段が安いという理由でソニーの赤ばかり使っていたのがやがて、低音重視ならDENONだとか、高音ならTDKだとか。
 ノイズリダクションだのドルビーだのクロームテープだのメタルテープだのと、音質へのこだわりに関する話題も尽きなかった。
 レコードからのダビングはいつも、テープのヒスノイズやレコード針のスクラッチノイズとの戦いだった。まさか今のように、CDからMDへボタン一発でノイズなし、なんて世界が来るとは思ってもみなかった。

 息子がこれからどんな音楽を聞くのかは不明だが、とりあえずハードがあればソフトも必要だろうという事で、手持ちのコレクションから何枚かのMDを息子に貸してやることにした。
 そのラインナップは、井福部昭音楽集、アニソンコレクション、バーチャロンサントラ、といったところ。
 何事もまず最初に触れるものが大切、という事から選んでみた。気に入ってくれると良いのだが……。

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2004.09.24

我が愛しのスターウォーズ

 やっと、ついに、長年待ち焦がれ続けたスターウォーズ初期三部作のDVDボックスが発売された。DVDがこの世に登場してからずっと、エピソード4から6までのDVDが発売されるのを待ち続けてきたわけだから、本当に「やっと」という気持ちで一杯だ。

 ボックスの片面は、エピソード4が公開されたときのポスターデザインを元にしたもの。

PICT1691.jpg

 そして反対側は、我らが(?)ダースベイダーのどアップである。
PICT1690.jpg

 やたらとツヤがあるため、写真を撮ると部屋の明かりやら自分が映りこんでしまう。困ったもんだ。

 そして中に収められた個々のパッケージがこれである。

PICT1694.jpg

 全て新しくデザインされたもの。自分としては、公開当時のポスターを基調としたデザインにして欲しかったのだが。しかしそれだと、日本向けは独自にデザインしなきゃいけないからコストがかかるのかな。
 ここでもまた、特典ディスクのダースベイダーがどアップで。こうして見ると、スターウォーズの主人公はダースベイダーなのだ、という事が良く判る。そう、スターウォーズとは「アナキンの細腕(片方は義手)繁盛記」なのである。

 てな話は置いといて、今日は一日休みをとって、昼前からテレビの前に陣取ってのスターウォーズ祭りである。暴君ハバネロ焼きそばと冷えたビールを用意し、まずはエピソード4から。
 DVD化にあたってベースになったのは特別編、というのは知っていたので、場面が増えたり画面に登場する生き物やその他もろもろが増えているのは驚かなかった。だが特別編で増えてたシーンの目玉であるジャバ・ザ・ハットの登場シーンが、更なる改良を加えられてるとは思わなかった。特別編で見た「痩せたジャバ」よりも、よりジャバらしくなっている。
 またオビワン痴呆症説の元になったR2-D2のことを覚えてない件についてだが、字幕を見る限り「見たこともない」なんて事は言ってない。ただ自分がR2の主人じゃないのかと問われて「持った覚えはないが」と言っているだけである。これはこれで、確かに嘘じゃない。それに出会いのシーンで、気絶したルークを覗き込んだ後にR2に向かって「マイフレンド」と呼びかけている。これはオビワンがR2の事を知っていた証拠といえるのではないだろうか。
 それと、エピソード1と2ではオビワンはC-3POとは出会ってなかったんじゃなかったっけ。だとすると、エピソード4に関しては別にエピソード1・2との矛盾はない事になる。

 いかんいかん、ついつい原理主義的な発言をしてしまった。

 缶ビール三本と暴君ハバネロ焼きそばを消費しつつ、エピソード4は終わった。やっぱ、これが一番かな~。何しろ、初めて見たのは14歳の時だもんな~。

 そしてお次は帝国の逆襲。この作品ではベスピンでの細かい描写が増えたことが有名だが、じゃぁもともとはどうだったかというと思い出せない。ただ、手を加えられた部分はどうしても、エピソード1・2と似たようなテイストになってしまう。こればかりはどうしようもないのだろう。

 帝国の逆襲では、ダコバでヨーダと出会うシーンが一番好きだ。登場したときは小汚いジジィなのに、その正体がジェダイマスターだと判ると突然、威厳を感じさせる表情になる。あのシーンは、最近すっかりCGのおかげで元気になってるやんちゃなヨーダにはない深みがある。

 でもって最後はジェダイの復讐。最近は「ジェダイの帰還」と言われているらしいが。まあ、ダースベイダーが「ジェダイへの帰還」を果たしてアナキン・スカイウォーカーに戻るという話の内容から考えれば「ジェダイの帰還」が正しい訳なのかも知れない。
 でもね、オジサンはこの映画をずーっと「ジェダイの復讐」と呼んできたのだよ。だから今さら、別の名前で呼ぶ気にはなれないのだよ。それはもう、帰ってきたウルトラマンを絶対に「ジャック」と呼びたくないのと同じぐらい、修正不可能なものなのだよ。

 オールドファンはおそらく、この作品が一番不満なんじゃないだろうか。何しろ最後のシーンを追加した影響で、あのイウォークの民謡っぽい曲が別の曲に差し替えられているし、最後に他界した三人のジェダイ騎士がルークを見守るシーンでは何と、アナキンが若返っている。まさかこんなところで手を加えるとは、予想もしなかった。ま、実際は2ちゃんでのリークを見ていたから覚悟は出来ていたが。

 ま、不満な点も色々あるが、やっぱりスターウォーズを手軽にいつでも見られるようになった、という事はありがたいことだ。
 そしてこのDVDを見て改めて、たとえビスタサイズであっても再生できるハードが我が家になくても、買い集めたLDは捨てられない、という事を思い知らされたのであった。

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2004.06.28

DVD-Rドライブ購入大作戦

 職場の友人に借りたDVD-RWを自分のPCで認識できなかったのと、レコーダーで録りためたDVD-RAMをオーサリングしてDVD-Rに焼きたい、という理由から、DVD-R/RWドライブの購入を検討する事にした。
 ビックカメラのネット通販では、バッファローのDVD-Rドライブが一番安い。DVD+R/+RWは書き込めないようだが、自分の用途では-R/-RWが使えれば問題ない。
 でもってその製品に使われているのが東芝製ドライブで、こっちの型番で検索するとバルクで6,000円ぐらいらしい。ところが2chにその東芝製ドライブのスレがあって、それを読むと何か壊れやすいって評判があってガクガクブルブル。
 この手の機械類を購入する時、どうしても「自分が持ち合わせている機械運の悪さ」というパラメータを無視できない。それは、過去の経験から来る「不安」が拭い去れないからだ。

 初めてPCを買った時に3.5インチの外付けFDDを買ったが、あっと言う間にディスクを読まなくなった。
 そのとき一緒に購入したプリンターはプリント時の文字化けが酷く、同じファイルを複数印刷してもその出力結果はすべて異なっていた。
 これからはモバイルPCだ(当事は「モービル」と言っていたか)と気合を入れて購入したエプソンのPC486PTは、36回の分割払いが終了する前に起動しなくなった。
 やっぱ年賀状はカラーじゃなきゃね、と購入したカラーインクジェットプリンターは、元旦の夜とつぜんヘッドが動かなくなった。その年、もらった年賀状の返事は手書きを余儀なくされた。
 女房の家事を軽減しようと買った食器洗い機は排水機構が故障し、正面の扉を開けていないと排水しなくなった。食器を洗う度、台所には蒸れた空気が充満するようになった。

 とまぁこんな具合なので、保証のきかないバルクのドライブを買ったらきっと、あっという間に壊れるに違いない。そう思えて仕方ないのだ。

 秋葉原を徘徊するようになった頃、わざわざ秋葉原のショップより値段の高い量飯店で買い物をする人の気持ちが理解出来なかった。
 そんな自分が今では、半日かけて秋葉を歩き回るぐらいならビックカメラでポイントと保証をつけてもらった方が良いや、と思うようになっている。
 これが「歳をとる」という事なのかもしれない。

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2004.05.19

悲惨な戦い

 先日、M師匠からもらったマットジャイロを、職場に持ってきた。

040519_01.jpg

 やっぱりマットジャイロは美しい。リアルタイムで帰ってきたウルトラマンを見ていた頃から、マットの乗り物の中ではマットジャイロが一番好きだった。
 どこらへんが好きなのか、と問われると返事に困るが、あえて言えばそのドッシリとしたフォルムと、そこから想像されるゆったりとした動きか。平たく言うと、「空飛ぶ戦車みたいでカッコいい」という事だ。
 そんなマットジャイロについて、強烈な思い出がある。

 子供の頃、おもちゃなんてめったに買ってもらえる家ではなかった。だからマット基地のプラモデルを買ってもらったときは、本当にうれしかった。それについてくるマットアロー一号二号、それにマットジャイロは、私のハートをガッチリ鷲掴み状態だった。
 ろくに色も塗らぬ素組みのマット基地とジャイロで、日がな一日遊び暮らしたものだった。

 そんなある日、静岡から親戚がやってきた。
 その頃、父方の伯父が高波にさらわれて行方不明になった。夜釣りに出かけて、事故にあったらしい。訪ねてきた親戚もまた、その時一緒に一家の大黒柱を奪われたのだった。もっとも、自分がそれを知ったのはずっと後になってからの事だったが。

 やってきたのは小母さんと男の子が二人。子供は子供同士という事になり、私は早速マット基地を披露した。今思えば、彼らにその豪華なおもちゃを自慢したかったのだろう。
 帰ってきたウルトラマンという番組はもう終わっていたが、それでもそのおもちゃはその子達の心をひきつけるに十分な魅力があったようだ。

 遊びに来ているお兄ちゃんの方が、マットジャイロを気にいってしまった。当然ながら自分もそれで遊びたかったが、親に「貸してあげなさい」と言われ、渋々それを明け渡した。
 そして二番目にお気に入りの、マットアロー二号を手にとった。弟の方は、世間一般で一番カッコいいとされているマットアロー一号が自分の分になったので、喜んでいた。

 しばらくはみんな、仲良く遊んでいた。それぞれがマットアローやジャイロを手にもち、「キーン!」だの「どばばばばぁあん!」だのと言いながら飛ばす真似をする。実に他愛のない遊びではあるが、子供はそれで夢中になれる。目に映るのは箪笥や畳かも知れないが、それは脳内でビル街や海底に変換されているのだ。

 突然、兄が驚くべき事を言い放った。

「これ、気に入った。もらっていく」

 最初、彼が何を言っているのか理解出来なかった。他人様の家にあるおもちゃを「もらっていく」などと言う神経が、信じられなかった。もし自分がそんな事を言おうものなら、親に張り飛ばされるに決まっている。
 それに、他のものならともかく、マットジャイロである。これだけは、ダメだ。
 私は必死になった。

「ダメだよ」
「いや。もらっていく」
「やめてよ。じゃあ、マットアロー一号なら持って行っていいからさ」
「いや。これがいい。一号は弟のだから」

 なぜそこまで自分が我慢しなければならないのか。
 自分の気持ちを完全に無視されたことと、一番お気に入りのマットジャイロを何の理由もなく奪われるという事が、私の胸をしめつけた。
 私は、涙と泣き声を抑えることが出来なかった。

 別室にいた母と、親戚の小母さんが驚いてやってきた。
 何事かと聞く母に、兄の方が事情を説明していた。

「これもらうって言ったら、泣いた」

 それを聞いていた私は、これで大丈夫と思った。勝手に人のおもちゃを奪うなど、常識のある大人なら叱るに違いない。これでマットジャイロは守られる。
 ところが、事態は思わぬ方向に転がり始めた。

「欲しいって言ってるんだから、あげなさい!」

 なんと母は、向こうについた。この展開に、私は呆然とした。
 そして小母さんの方を見た。もう期待できるのはこの小母さんしかいなかった。もし逆の立場なら、母は私を叱るだろう。だから小母さんもこの兄を叱ってくれるはずだ。そう期待したのだが。

「ごめんね。堪忍してね」

 小母さんが言ったのは、ただそれだけ。彼女は自分の息子を、ただの一言も叱る事はなかった。
 そして、とどめの一撃が私を襲った。

「じゃ、これ俺のね」

 兄の最終判決に、今度こそ私は狂ったように泣き、わめき声を上げた。
 何をどう言っても泣きやまぬ私に手を焼いた母は、私を仕事中の父のところへ引っ張って行った。これはもう私にとっては絶望的な展開だった。父はいつだって無条件で、私の一番不利益になる選択をするのだ。
 その時もやはり、私は拳固で殴られた。
 そして、そこで記憶は飛んでいる。

 これだけインパクトのある事件だったのに、その後マットジャイロが持っていかれてしまったのかどうかについては、さっぱり覚えていない。もしかするとその事について、心の防衛本能が鍵をかけているのかもしれない。

 今でもマットジャイロを見ると、あの時の事を思い出す。
 もしもこのマットジャイロがなくなったら、多分ひっそりと枕をぬらすだろう。

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2004.05.12

顔は男の履歴書

 最近、「腐女子の行く道、萌える道」というページにズッポリとハマっている。先日からバックナンバーを読み続け、今日やっと全てを読み終えた<何してんだか。

 で、そこで紹介されていた「似顔絵イラストメーカー」というページで、自分の似顔絵を作って見た。

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 歌う俺様

 出来上がった絵を二人の女の子に見せたところ、一人は大笑いし、もう一人は「こんな良い顔じゃないですよ」と言った……orz ソウカコレヨリヒドイノカ

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2004.05.07

出身校のページを発見

 風呂上りで火照った身体を冷ますためにタラタラとブログ巡りなどしていたら、偶然にも自分の出身高校が作っているというWebページを見つけてしまった。
 校舎案内のページでは、外観に「そうそう、こんな感じ」と懐かしさを覚え、AVルームだのコンピュータ室だのの写真を見て「校舎のどこらへんにあるのか、想像もつかん」と頭を抱える。
 トレーニング室の写真に写る現役生の姿を見て、確実に「今の学校」が彼らのものであること、自分はもう二十年以上も前にそこの住人でなくなったことを実感させられる。

 なんだか、ノスタルジックな気分であることよ。

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2004.04.26

さらば、青春の何分の一か

 日本マクドナルドの藤田田、死去。
 いやホントにビックリした。この人は死ななくても違和感ないと思ってたから。

 我が家で藤田田と言えば、「金持ちラッパの吹き方」という本の話になる。本当にそういう本があるのだ。

 本の内容はともかくとして、このタイトルを思い出すたびにマクドナルド・クルーの行列の先頭に立ってラッパを吹く藤田田を脳裏に描いてしまうのだ。それも必ず両足はパンタグラフのようにひざを外側にして曲げてあり、片足が大きくあがっている。右手は口にあるラッパを支え、左手は手のひらを上に向けて軽く伸ばされていて、見ている人を誘い込むような仕草をしている。
 考えるたびに、そんな藤田田はイヤだ、と思ってしまう。

 でも俺、大学の時マクドナルドでバイトしてたんだよな~。茅ヶ崎店、今はどうなってんのかな~。

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