2010.04.16

【マイギターライフ:003】我が良き友よ


 鈴木君は今で言えばイケメンと言う奴で、背はすらりと高く顔立ちはキリッとしていて剣道が強く学級委員を勤める、まるで少女漫画から出て来たような人物であった。
 そんな彼もやはり音楽に目覚めた。彼のお気に入りは、かぐや姫。彼の家に遊びに行った時、アルバム「はじめまして」を通しで全曲聴かせてくれた。そして全てを聞き終えた時彼はこう言った。
「なあ、フォークデュオ組もうぜ」
 その頃はまだ私も鈴木君もギターが弾ける訳ではなかった。それどころか、ギターを持ってすらいなかったのだ。
 若いと言うよりは幼いと言った方がふさわしい、夢にあふれたセリフである。
 そして私もまた、すぐ調子に乗る性格だった(これは今でも直っていない)。
「いいね。やろうよ。で、グループ名は?」
「俺が鈴木だから、スズムシ」
「おい、俺はムシかよ!」
「いいじゃんか別に」
「良くねーよ!」
 まあとんぼってグループがあるんだからスズムシってグループがあっても良かろうと言う事になり、その日は彼が聴かなくなったからやるよとくれたベイシティローラーズのシングルレコード数枚を持って帰った。
 私はこれでまた手持ちのレコードが増えたと喜び、それから数日後にダイクマ茅ヶ崎店で白いギターを買った。
 しかしこの白いギターは、ただの一曲も奏でることなく天に召されて行ったのだった。

(つづく)

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2010.04.14

【マイギターライフ:002】ぎゅわんぶらあ自己中心派

 自分の人生の中で最もパチンコをしていた時期はと言えば、間違いなく小学校四年生から六年生にかけてである。当然ながら自分一人でパチンコ屋に入り浸っていたわけではなく、親に連れられてではあるが。

 私の父親と言うのがまた実に趣味のない男で、それでも無理やりに彼の趣味を定義するなら酒とパチンコ、という事になるだろう。
 水道屋をやったり長距離トラックの運転手をやったり注文建築住宅の代理店をやったり、たまに夜逃げをしたりと紆余曲折な人生を送っていた父親が、火葬場の職員として公務員になって実を落ち着けたのは私が小学校二年生の時だった。
 初めのうちは借金を返すのに精一杯だったようだが、やがてそれも片がつき、やがて毎晩のように晩酌の後に駅前のパチンコ屋に行くようになったのが私が四年生の頃だったのである。
 最近はどうなのか知らぬが、あの頃はまだ子供連れでパチンコ屋に入っても特に目くじらを立てられることもなかった。
 最初の頃はおとなしく景品コーナーの玩具やプラモデル、あるいはラジオなどの豪華景品を眺めてすごしていたが、次第に退屈してくる。父親のところに行きジュースが飲みたいとねだると、父は現金ではなくパチンコ玉を一握りよこした。それを持ってジュースの自動販売機のところに行くと、ちゃんとパチンコ玉を入れる投入口がある。そこに玉を入れると、ジュースが買えるのである。

 しかし景品を見たりジュースを飲んだりしていても、やはり飽きてくる。何しろ毎日のように同じパチンコ屋に連れられてくるのだ。景品はもうすっかり覚えて見飽きているし、ジュースだって子供だから飽きはしないがそう何杯も飲めるものではない。
 そのうち私は床に落ちているパチンコ玉を拾って適当に空いてる台で打ち始めるようになった。店員も特に文句は言わなかった。父親も自分の懐が痛むわけではなかったので、文句は言わない。
 玉を20個ぐらい集めては空いてる台を探し、玉を一つずつゆっくりと弾く。父はいつも閉店時間である9時まで打ち続けるから、それまでの時間つぶしが出来るよう極力ゆっくりと、時間をかけて玉を弾いた。
 そして全てを打ちつくすとまた、玉拾いの旅に出るのであった。

 当初の目的は閉店までの時間つぶしだったので、父が声をかけてきて帰るとなった時は慌てて全ての玉を打ちつくしたものだった。
 ところが五年生の後半ぐらいから少しずつ、出玉を増やせるようになってきた。そして六年生になった時には、うまくすればシングルレコードの一枚も取れるぐらいの玉が出るようになっていたのである。

 こうして自分のレコード集めが始まった。
 この頃はまだ、自分でギターを弾いて歌うなどという事は、考えてもいなかった。
 そんな自分がギターに興味を持ったのは中学一年の時。そのきっかけを作ったのは、後に生徒会長となる鈴木君である。
 
(つづく)

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2010.04.13

【マイギターライフ:001】歌、知りそめし頃

 子供の頃から熱しやすく冷めやすい性格で、趣味と言うものが長続きしたためしがない。
 そんな自分が中学一年から大学を出るまでの間ひたすらギターを弾き続けていたのだから、よほどギターが自分の性に合っていたのだろう。未だにこれに匹敵するほど長続きした趣味はない。

 それだけギターと性が合うのだから子供の頃から音楽好きだったのだろう、と思われるかもしれないが実はその逆で、小学生の頃は心底音楽が嫌いだった。これは学校の授業にとどまらず、テレビで流れる歌謡曲も含まれていた。とにかく音楽と言うものが、徹底して嫌いだったのだ。
 たとえばドリフの全員集合を見ているとする。最初のコントが終わって盆回りの曲が流れゲストが歌いだすと同時にチャンネルを回して別の局で暇つぶしをし、そろそろ歌い終わった頃だろうと見当をつけるとチャンネルを戻す。ほんのちょっとでも歌を聴く時間を減らせるなら、とにかく努力を惜しまなかった。
 それぐらい音楽が嫌いだったのである。

 あまりにも私が見境なく音楽を嫌うのを父親が不思議がり、その理由を聞かれたことがある。
「歌詞の中に『愛してる』とか『好きだ』とかの言葉があるのがすごく嫌だから」
 そう答えたのを覚えているが、これは多分「答えるための答え」であったと思う。実際には特に理由などなく、感情的にとにかく嫌、だったのである。

 そんな自分がいつの間にか、好んで歌謡曲を聴くようになり、レコードまで集めるようになった。明確な理由は思い出せない。恐らく、父が家を建て私にも自分の部屋があてがわれ、その部屋に両親が結婚当初から使っていたステレオセットが入れられたのがきっかけではないかと思う。
 家が出来上がったのが小学校五年生の頃で、レコードを集めるようになったのは六年生の頃だったと記憶している。

 レコードを集めた順番はもう忘れたが、キャンディーズの「やさしい悪魔」「哀愁のシンフォニー」、松崎しげる「愛のメモリー」、森田公一とトップギャラン「青春時代」、清水健太郎「失恋レストラン」、エトセトラetc……。
 こうして曲目を並べてみると、テレビ番組「ぎんざNOW!」と「みごろ ! たべごろ ! 笑いごろ !!」の影響があった事が良く判る。
 まあ昭和五十年頃の小学六年生が音楽を聴くきっかけなど、そんなものだろう。

 ところでこの頃、シングルレコードの値段は五百円から六百円程度。そして自分がもらっていた小遣いは確か一ヶ月で千円ぐらいだった。当然、そんなにレコードがポンポンと買えるはずもない。
 ではどうやって自分はこれらのレコードを入手していたのか。
 実を言うとそれは、パチンコの景品として、なのである。
 
 (つづく)

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2005.02.13

不定期連載・我がニフティ人生(2)

 さて無事にニフティへのサインアップも済ませ、まずはフォーラムというものに入ろうという事になった。
 フォーラムというのは、各ジャンルごとに同好の志が集まって会議室という掲示板で意見交換をしたり特定のテーマで話し合いをしたり雑談をしたり、といった場のようなものである。ニフティ以外では「シグ」と呼ばれている商業ネットもあったらしい。

 ネット生活そのものを始めたばかりなのでまずは初心者向けの、という事で初心者フォーラムに入った。フォーラム名はFHELP。頭のFは全フォーラムに付く事になっているので、二文字目からがフォーラムの内容を表している。SFフォーラムはFSFだし、模型フォーラムならFMOKEIとなる。ではFGALは女の子が山盛り、というわけではないのがまた難しいところであるが。FGALについてはまた後日説明しようと思う。

 パソコン通信では、現在のWebブラウザで表示させてマウスでクリック、というインターフェイスとは違って、全てプロンプトに対してコマンドを打ち込むという方法をとる。フォーラムへは、GOコマンドというコマンドで入る。例えばFHELPに行くなら「GO FHELP」と打ち込むのである。すると画面に、フォーラムのトップメニューが表示される。「会議室」「データライブラリ」「お知らせ」「リアルタイム会議室」といったメニューが、それぞれに番号を付けて表示されており、その番号を入力すればそのサービスに入るという形になっている。
 慣れてくるとメニュー表示をオフにして、直接そのサービスのコマンドを打ち込むという技を使うようになる。これは当時のニフティが従量課金制でありなおかつ料金が青天井だったためである。

 他のネットも従量課金制ではあったが、例えば日経MIXなどは上限が一万円だったと記憶している。つまりどんなに使っても一万円を超えることはない、というわけである。もっとも、全サービスが使えたかどうかは不明である。
 そしてニフティは三分十円だったか一分十円だったか忘れたが、使えば使っただけ課金される仕組みだった。上限はない。だからメニューの表示を省略する事でアクセス時間を短くするというのは、当然の対策だったのである。

 その課金対策を更に勧めていくと、オートパイロットという仕組みを使うことにたどり着く。これはサーバへのコマンド入力を人間が手入力でやるのではなく、通信ソフトのマクロを使って実行させるのである。そうすれば人間より反応が早いから、決まったことだけをやらせるならより効率的にネットを巡回する事が出来る。
 こうして、より短いアクセス時間でより多い情報をダウンロードするのが、パソコン通信の賢い利用法だとされていた。
 この頃は現在のような、定額制で常時接続があたりまえの時代が来るなど、想像もしていなかった。

 前置きが長くなってしまった。
 FHELPに入会した私は、まずフォーラムのサービス中でメインとなる「会議室」に入った。
 「会議室」という名前ではあるが、今で言えば掲示板である。発言を書き込み、その発言に対してコメントをつけることが出来る。発言には発言者の登録名や時刻が一緒に表示される。
 会議室は当時は各フォーラムごとに最大で10個の会議室が持てるようになっていた。これは後日、20個に拡大されるようになる。

 登録名はフォーラムに入会する時に決める。複数のフォーラムに入るにしても登録名は統一するのが普通だった。この登録名は「ハンドルネーム」と呼ばれ、会員同士はこのハンドルで呼び合う。本来「ハンドル」だけで「名前」という意味が含まれているので、ハンドルネームというのは重複表現となるのだが、ニフティではこの呼び方が一般化されていたように記憶している。

 私はその当時「澪 一文・Vo\oV」というハンドルを使っていた。由来は数字の0123である。別に某引越し業者の回し者になりたいから、というわけではない。高校当時、学校の近くに「一二三薬局」というのがあり、これが「ひふみ薬局」である事を知って何となく使ってみたいと思っていたのだ。頭の0は、C言語プログラマは数を0からカウントするという習性に由来している。
 後ろの「Vo\oV」はバルタン星人を表している。環境によっては真ん中の「¥」が「\(バックスラッシュ)」に見えるかも知れない。
 
 初心者フォーラムには会議室の利用練習を兼ねた自己紹介会議室がある。早速その会議室に書き込みをした。
 こうして「澪 一文・Vo\oV」がネットワーク上にデビューしたのである。

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2005.02.01

不定期連載・我がニフティ人生(1)

 ニフティのパソコン通信サービスが、徐々に終了しつつある。なんだか寂しい。
 ニフティサーブは一時期、自分の人生のかなり重要な部分を占めていただけに、複雑な気分である。たとえ最近はほとんど訪れなくなっても、である。勝手な言い分だが、人の気持ちってのはそんなもんだろう。

 今から15年ぐらい前、冬のボーナスでモデムと通信ソフトを買ったのが私のネット生活の始まりだった。
 モデムはオムロン製で2400bps、MNPクラス5の性能を持った、当時としては一番良いランクのモデルだった。まだ9600のアクセスポイントがない時代である。
 通信ソフトはCCT98という、マクロ機能が強力と雑誌のレビューに載っていたものを選んだ。当時のパソコン通信は従量制課金がデフォルトで、今のような定額制のサービスはほとんどなかったと思う。なので通信費を極力安くあげるために、手作業でのアクセスではなくマクロによるオートパイロットでサッとつないでパッと切る、という方法が主流だったのだ。
 そのマクロも、マニュアルと首っ引きでシコシコと自作したものである。当然マクロとは言えプログラミングだから、デバッグが必要になる。そのために何度もアクセスを繰り返し、結局は通信費がかさんでしまったなんて事もあった。
 このマクロは後日、模型フォーラムのデータライブラリにアップしたのだが、今はどうなっているのだろうか。

 さてその当時のメジャーなパソコン通信サービスと言えば、日経MIX、PC-VAN、ASCII-NETがトップ3だったかと記憶している。これはその有名度とユーザ数からの話である。ニフティはまだ、四位以下だった。
 そのニフティをどうして自分が選んだのか、今となってはその理由が思い出せない。モデムか通信ソフトに、一時間分の無料クーポンでもついていたのかも知れない。

 近場のアクセスポイントを探し、通信ソフトに電話番号とモデムコマンドを設定し、いざアクセスすると文字化けでログインできない。電話代がかさむのであわてて回線を切り、モデムのマニュアルとにらめっこしながら通信ソフトに入れたATコマンドの設定を見直す。
 こんな事を繰り返しながらやっとまともに通信できるようになったときは、一人暮らしのアパートで誰にともなく「やった! ざまーみろ!」と叫んだものだった。

 そして入会手続きをオンラインで済ませ(当時はその段取りにも感動した)、まずは初心者フォーラムに入会する。
 ここで、通信費の節約などというお題目を吹き飛ばす「リアルタイム会議室」、通称RTというものにハマって行くのだが、その話についてはいずれまたの機会に。

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2005.01.13

ミクシィ中毒

 いやはや、聞いてはいたけど本当にミクシィがこれほどまでに「中毒性のあるもの」だとは思わなかった。「暇さえあれば」などという生易しいレベルではなく、「何かというと」ミクシィのチェックをしている自分がいる。こんなとき、仕事中にもWebにアクセスできる状況というのは、ありがたいやら困るやら。

 この感覚って、15年前にNifty-Serveに入会した頃の感覚に似ているような気がする。あの頃も、もう社会人二年目として大人の行動をしなきゃいけない年だと言う事は判っているつもりなのに、初めて知った世界に夢中になって毎晩夜遅くまでネットの中(ただしこの場合は、サーバの中)をウロウロしていた。
 今ではネット上のサーバーは24時間稼動が当然になっているが、あの当時は毎日午前三時になるとメンテナンスのためにサービスが停止された。だからRT(チャット)中毒の連中はみんな、Niftyがメンテで落ちるまでRTを続けていたものだった。

 単なるWeb上の掲示板とかでは、これほどの思い入れというものは抱かなかった。それは「自分は既にNiftyのような世界を知っているから、今さらネットワーク云々という世界におぼれるはずもない」という思いがあったからなのだが、こうやってまた改めてクローズドな世界に足を踏み入れてみると、何だ全然同じ行動してるじゃん、という感じ。

 決して自分はネットに醒めていたわけでもなければ、達観していたわけでもない。ましてや、大人になったというわけでは、全然なかったという事だ。

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2005.01.02

正月といえば駅伝と初詣

 初夢の記憶もないまま、新年二日目の朝を迎えた。今日こそは良い天気。まさに駅伝日和である。

 これも結婚後に東京に引っ越して以来の恒例となった、おせち料理で一杯やりながらの駅伝中継を堪能する。
 箱根駅伝の舞台になっているコースは、学生時代に車で走り回ったところが多い。だから見ていて選手がどこらへんを走っているのかが良く判る。それがこの駅伝を面白いと思う最大の理由かも知れない。
 特に戸塚中継所を過ぎて藤沢バイパスから134号線に入り茅ヶ崎を通って平塚を通り過ぎるまでのあたりは、我が青春のドライブコースだったこともあってメチャメチャ懐かしい。

 煮物や鯛等をつまみにビールを頂き、良い気分になったところで女房の実家をおいとまする。
 息子は四日の朝まで残留し、優しい祖父母に囲まれたパラダイスを堪能する事になっている。当然の事ながら、彼が我々を送り出す表情が晴れやかだ。

 湘南ライフタウンの真ん中あたりにあるバス停から神奈中バスに乗り、藤沢駅へ向かう。
 実のところ、もう何年も初詣というものをしていない。定型パターン、様式美といったものを愛する身としては、これは不本意な事である。そこでせっかくだからと、江ノ島神社に初詣に行くことにした。

 藤沢駅近辺を歩き回ってコインロッカーを探し、荷物を放り込む。そして小田急の駅で帰りのロマンスカーの切符を確保してから、各駅停車で江ノ島に向かった。

 もう何年も前に岩本楼に泊まって以来の江ノ島だが、相変わらず「ちょっと寂れた感じのする観光地」テイストに満ちていた。それでもコマゴマと改修されているところもあるようで、小田急の駅を出て江ノ島に向かう途中にあった「東洋のマイアミビーチ」という看板は取り外されていた。マイアミから抗議でもきたのだろうか。

 江ノ島へ渡る橋の上から見える、妙に派手な看板に目を奪われる。帯状の電光掲示板をソフトクリーム状にクルクルッと巻き上げた形をしており、何やらせわしく画面が描き変わっている。最初ラブホテル(最近はファッション・ホテルとか言うのか)でも出来たのかと思ったが、近づいてみたらそれがスパである事が判明。
 帰りの電車が決まってるので入るのは断念したが、来年は挑戦してみても良いかも知れない。

 いよいよ鳥居をくぐって恐怖の坂登りである。初詣シーズンだからか、やたらに人が多い。昔ちょくちょく遊びに来たときは開いてた試しのなかった射的屋が営業しており、しかも商売繁盛の様子。
 参道沿いの土産物屋を冷やかしながら、と思ったが、ここの参道は非常に狭い上に、普段からは考えられない程の人が流れているせいもあって、うかつに立ち止まれない。
 人の流れに押されるように、最初のお社に到着してしまった。

 手を洗って口をすすぎ、本殿に手を合わせる。お守りも買って、普通の初詣ならここで終了なのだが、江ノ島の初詣は違う。ここはまだ、スタート地点のようなものである。
 本殿を出たら、まずは頂上を目指す。これが正しいルートというものである。

 などと気張りつつも、かつては己の脚で上がった階段を今はエスカーで楽して上がってしまうのだから、正しいもクソもない。
 エスカーをご存知ない人の為に説明すると、要は単なるエスカレーターである。これが江ノ島の麓から山頂までの間に、三本ほど設置されている。最初の一本はパスして自力で登ったのだが、そこから先は二本のエスカーのお世話になって、らくちんモードで頂上に到着したのだった。

 頂上についたら、目指すは当然展望台である。今は新しい展望台に立て替えられているが、これも昔はすさまじい代物だった。
 展望フロアに行く為のエレベーターが昔の金網みたいなケージで、たどり着いた展望フロアは板張りの吹きさらし。歩けば床がギシギシと鳴き声をあげる「天然ウグイス張り」なところが、よりいっそうスリルを覚える逸品だった。
 そんな展望台も今では、大きなガラス張りの室内型展望フロアになっていた。空調も効いていて、実に快適である。
 四方をぐるっと見回して、携帯のカメラで何枚か写真を撮った。ついでに展望フロアの屋上にも出て外の風を浴び、昔なつかしのモードも満喫してここはクリアという事になった。

05-01-02_01 展望台から江ノ島大橋を望む
05-01-02_02 展望台から見る富士山

 後半へ続く。

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2004.12.24

人生のデンジ・エンド

 身体の左側ばかり調子が悪い。昔からそうなのだが、ここ数年は特にひどくなった。
 四十ともなると身体のあちこちにガタが来るのはわかるが、自分の場合、高校生の頃からその傾向があったようだ。

 ●左腕と左足だけ蟻走感
 蟻走感と書いて「ぎそうかん」と読むらしい。これは、筋肉繊維の間を虫がはいずっているような感覚に襲われる現象のことだ。
 自分の場合、高校生になったころからこの蟻走感に悩まされている。眠くなってウトウトしてくると、左腕と左足だけが妙にムズムズしてくるのだ。皮膚と筋肉の間、あるいは筋肉と骨の隙間を虫がウニウニと這いずっている感覚。良くドラマやマンガで見る、覚せい剤の禁断症状ってこんな感じかな~、と思う。
 こいつのおかげで夜中に寝付けなくなった事が、何度もある。

 ●左後頭部に頭痛
 まだ煙草を吸っていた頃のこと。
 家に帰って一服つけたとたん、頭の左側だけに激痛が走った。猛烈な痛さ。こんな頭痛は初めて。まさにのたうち回りたくなるほどの激痛。
 あまりの痛みに後日、昭和大学病院の脳外科で診察してもらった。念のためということでMRIによる検査も行ったが、特に異常は見られなかった。結局、肩こりから来る頭痛だろうという事で決着がついた。
 昭和大学病院には今でも、三ヶ月に一度のペースで通っている。

 ●左肩だけ肩こり
 左肩から背中にかけての肩こりを意識するようになったのは、頭痛事件があってから。
 最近ではほぼ慢性的に、左肩だけがこっている。あまりにもこの肩こりがひどいため、職場・書斎・リビングのそれぞれにツボ押しを常備している。

 ●左足だけ巻き爪
 そして最近になってレギュラー入りしたのがこの、巻き爪である。
 ネットで調べたところ、爪を短く切りすぎると巻き爪になる可能性があるという事だったが、左右同じように爪を切っているにも関わらず左足の爪だけが巻き爪になるのが解せない。
 それも、最初の頃は親指の爪だけがそうなっていたのだが、今では巻いてない爪の方が残り二本と、少数派になってしまった。

 これだけ左右非対象だと、俺って何だかキカイダーみたいだと思う。
 これはひょっとして、二郎の食いすぎが原因か?

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2004.12.23

初期化

 息子へのクリスマスプレゼントは当人の希望により、ポータブルMDプレイヤーと言うことになった。いよいよ自分の子供が音楽を聴くようになったかと思うと、感慨深いものがある。

 自分が本格的に音楽を聴くようになったのは中学一年の秋頃だった。さだまさしに夢中になり、少ない小遣いを貯めてはレコードを買ったり、ラジオのエアチェックをしたものだった。
 買ったレコードは、頻繁に使って万が一傷つけては大変ということで、カセットにダビングしたあとは大事にしまい込んでいたものだった。

 高校生の頃になると、カセットにもこだわるようになった。値段が安いという理由でソニーの赤ばかり使っていたのがやがて、低音重視ならDENONだとか、高音ならTDKだとか。
 ノイズリダクションだのドルビーだのクロームテープだのメタルテープだのと、音質へのこだわりに関する話題も尽きなかった。
 レコードからのダビングはいつも、テープのヒスノイズやレコード針のスクラッチノイズとの戦いだった。まさか今のように、CDからMDへボタン一発でノイズなし、なんて世界が来るとは思ってもみなかった。

 息子がこれからどんな音楽を聞くのかは不明だが、とりあえずハードがあればソフトも必要だろうという事で、手持ちのコレクションから何枚かのMDを息子に貸してやることにした。
 そのラインナップは、井福部昭音楽集、アニソンコレクション、バーチャロンサントラ、といったところ。
 何事もまず最初に触れるものが大切、という事から選んでみた。気に入ってくれると良いのだが……。

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2004.09.24

我が愛しのスターウォーズ

 やっと、ついに、長年待ち焦がれ続けたスターウォーズ初期三部作のDVDボックスが発売された。DVDがこの世に登場してからずっと、エピソード4から6までのDVDが発売されるのを待ち続けてきたわけだから、本当に「やっと」という気持ちで一杯だ。

 ボックスの片面は、エピソード4が公開されたときのポスターデザインを元にしたもの。

PICT1691.jpg

 そして反対側は、我らが(?)ダースベイダーのどアップである。
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 やたらとツヤがあるため、写真を撮ると部屋の明かりやら自分が映りこんでしまう。困ったもんだ。

 そして中に収められた個々のパッケージがこれである。

PICT1694.jpg

 全て新しくデザインされたもの。自分としては、公開当時のポスターを基調としたデザインにして欲しかったのだが。しかしそれだと、日本向けは独自にデザインしなきゃいけないからコストがかかるのかな。
 ここでもまた、特典ディスクのダースベイダーがどアップで。こうして見ると、スターウォーズの主人公はダースベイダーなのだ、という事が良く判る。そう、スターウォーズとは「アナキンの細腕(片方は義手)繁盛記」なのである。

 てな話は置いといて、今日は一日休みをとって、昼前からテレビの前に陣取ってのスターウォーズ祭りである。暴君ハバネロ焼きそばと冷えたビールを用意し、まずはエピソード4から。
 DVD化にあたってベースになったのは特別編、というのは知っていたので、場面が増えたり画面に登場する生き物やその他もろもろが増えているのは驚かなかった。だが特別編で増えてたシーンの目玉であるジャバ・ザ・ハットの登場シーンが、更なる改良を加えられてるとは思わなかった。特別編で見た「痩せたジャバ」よりも、よりジャバらしくなっている。
 またオビワン痴呆症説の元になったR2-D2のことを覚えてない件についてだが、字幕を見る限り「見たこともない」なんて事は言ってない。ただ自分がR2の主人じゃないのかと問われて「持った覚えはないが」と言っているだけである。これはこれで、確かに嘘じゃない。それに出会いのシーンで、気絶したルークを覗き込んだ後にR2に向かって「マイフレンド」と呼びかけている。これはオビワンがR2の事を知っていた証拠といえるのではないだろうか。
 それと、エピソード1と2ではオビワンはC-3POとは出会ってなかったんじゃなかったっけ。だとすると、エピソード4に関しては別にエピソード1・2との矛盾はない事になる。

 いかんいかん、ついつい原理主義的な発言をしてしまった。

 缶ビール三本と暴君ハバネロ焼きそばを消費しつつ、エピソード4は終わった。やっぱ、これが一番かな~。何しろ、初めて見たのは14歳の時だもんな~。

 そしてお次は帝国の逆襲。この作品ではベスピンでの細かい描写が増えたことが有名だが、じゃぁもともとはどうだったかというと思い出せない。ただ、手を加えられた部分はどうしても、エピソード1・2と似たようなテイストになってしまう。こればかりはどうしようもないのだろう。

 帝国の逆襲では、ダコバでヨーダと出会うシーンが一番好きだ。登場したときは小汚いジジィなのに、その正体がジェダイマスターだと判ると突然、威厳を感じさせる表情になる。あのシーンは、最近すっかりCGのおかげで元気になってるやんちゃなヨーダにはない深みがある。

 でもって最後はジェダイの復讐。最近は「ジェダイの帰還」と言われているらしいが。まあ、ダースベイダーが「ジェダイへの帰還」を果たしてアナキン・スカイウォーカーに戻るという話の内容から考えれば「ジェダイの帰還」が正しい訳なのかも知れない。
 でもね、オジサンはこの映画をずーっと「ジェダイの復讐」と呼んできたのだよ。だから今さら、別の名前で呼ぶ気にはなれないのだよ。それはもう、帰ってきたウルトラマンを絶対に「ジャック」と呼びたくないのと同じぐらい、修正不可能なものなのだよ。

 オールドファンはおそらく、この作品が一番不満なんじゃないだろうか。何しろ最後のシーンを追加した影響で、あのイウォークの民謡っぽい曲が別の曲に差し替えられているし、最後に他界した三人のジェダイ騎士がルークを見守るシーンでは何と、アナキンが若返っている。まさかこんなところで手を加えるとは、予想もしなかった。ま、実際は2ちゃんでのリークを見ていたから覚悟は出来ていたが。

 ま、不満な点も色々あるが、やっぱりスターウォーズを手軽にいつでも見られるようになった、という事はありがたいことだ。
 そしてこのDVDを見て改めて、たとえビスタサイズであっても再生できるハードが我が家になくても、買い集めたLDは捨てられない、という事を思い知らされたのであった。

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